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 皇極天皇四年(645)の大化の改新発祥の地とされる談合の山・多武峰の歴史は、藤原鎌足公(614~669)の遺骸を長子の定慧和尚がここに埋葬し、十三重の供養塔を建立したことに始まります。
 その後、二男・藤原不比等公により金堂・常行三昧堂・鎌足公の尊像を祀る聖霊院が建立され、天武天皇8年(679)多武峰妙楽寺(多武峰寺)が開創されました。はじめ法相宗の寺として開創されましたが、延暦寺の修行僧 実性僧都が多武峰第四代検校官府を受けた頃、天暦10年(956)叡山の末寺になりました。橘恒平の子 増賀上人(917~1003)は比叡山で良源について顕密を学び諸国を遊行し、963年多武峰に入り名刹を忌避した反骨の僧として妙楽寺に隠棲しました。
 万寿元年(1025)検校道安により多宝塔が建立され、仁安年間(1167)には道元禅師の祖父・松殿関白太政大臣 藤原基房公が三重塔を寄進されました。
 鎌倉時代初期、筑前出身 藤原景綱の子であるとされる大日房能忍は多武峰妙楽寺において禅宗達磨宗を開き、能忍滅後、弟子の覚晏により法燈が護持され、この覚晏のもとで懐鑑・懐奘・義介・義演等がご修行され、後に懐奘以下一門の方々が大本山永平寺開山道元禅師の下に改宗し今日の曹洞宗の基礎をつくることになります。
 文暦元年(1234)懐奘は道元禅師初開の道場宇治興聖寺第一の門弟となり、道元禅師生前20年没後28年、計48年の間生涯を盡して孝順の誠をつくされ、道元禅師の正法眼蔵をはじめ多くの著述をまとめられ、今日に残された功績は誠に盡大であります。
 しかし残念なことに明治維新になり、国家神道成立に向けて国学者を中心に原理主義となり、政府の廃仏毀釈の令厳しく、多武峰妙楽寺3000石の寺領もとりあげられ、42坊の子院すべて廃寺となり、主なる佛堂・聖霊院・護国院・講堂・常行三昧堂・東大門等の佛像は撤去され、談山神社と改号されました。
 及ばずながら昭和46年より同じく廃仏毀釈で廃寺となった三輪山平等寺復興のため勧進托鉢を始めた頃より多武峰妙楽寺の再興を心にきざんで参りました。 この再興の道を通して、「天皇は佛法を信じ神道を尊ぶ」という用明天皇の詔を深く身に体し、大恩教主本師釈迦牟尼佛・歴代祖師菩薩・多武峰妙楽寺始祖藤原鎌足公・開山定慧和尚並びに藤原不比等公の御意志を世に伝えたいと願うものであります。
 幸いにこの度の多武峰妙楽寺一院再興に際し、野衲 大本山永平寺副監院安居在山の砌、大本山永平寺79世 福山諦法大禅師猊下より「孤雲懐奘禅師故地」の御揮毫を賜り、その報恩の碑を建立させていただきましたことは法孫として窮まり無きよろこびであります。


 誰知廃佛断腸聲  誰か知る廃仏断腸の声
 多武峰崖一院清  多武の峰崖一院清し
 切忌維新流轉暁  切に忌む維新流転の暁
 法燈再照悉和平  法灯再び照らして悉く和平ならん
                          (丸子孝法謹艸)


 廃仏毀釈で全国の15000カ寺が取り壊され消滅しました。今回、多武峰妙楽寺本坊が150年ぶりに再興されましたのは、地元の皆様はじめ全国の皆様のご支援ご協力のたまものであります。
 ここに法灯再び照らして悉く和平ならんことをご祈念申しあげ、完成にいたるまで諸事にわたりご理解とご協力を賜りました皆様に衷心よりお礼を申しあげ、落慶のご挨拶とさせていただきます。合掌

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